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  • 執筆者の写真Arisa Mitsui

焼津カツオSHOWてん2022 作品全文


焼津カツオSHOWてん2022

場所 焼津駅前商店街

10月15日(土)〜11月13日(日)


私のカツオの展示場所は《No.92》

みんなの図書館さんかく』様 になります。


使用素材

カツオ板 (カツオSHOWてん様からのご提供)

黒カッティングシート

クリスタルバーニッシュ


以下、作品全文と参考です。



 

2022年6月15日


焼津カツオSHOWてん2022

NO.92

満井亜里紗


鰹における歴史と焼津漁業の発展


 はじめに

 本レポートは焼津カツオSHOWてんの作品にむけて書かれたものである。2022年のカツオは今年3月に武蔵野美術大学に入学し、初めて取り組んだ課題「レポート」の存在を作品に利している。


 静岡県民にとって食の制限のない者を除き、鰹は大変親しみある魚である。海が近く漁港も盛んであることから新鮮な鰹がとれる環境であり、刺身、かつおのたたき、また焼津では鰹節との歴史は深いものとなっている。


 焼津神社周辺にある「宮の腰遺跡」より約1400年前の弥生時代の遺物が発掘された。その出土品の中に魚の骨片があり、これが鑑定によって鰹の骨であることがわかった。また古書記や日本書記で鰹について触れられている。したがって大変古くから鰹を食していたと考えられる。

 鎌倉時代から戦国時代にかけて鰹漁は盛んとなり、特に戦国時代は"勝つ魚"と好まれ、鰹節にいたっては兵食用として飢えをしのぐ食糧としても普及していた。

 江戸時代の頃には縁起のよい祝いの食としても大変好まれさらに鰹の需要が高まった。


 焼津の漁業は徳川政権の時代、27隻の鰹漁船に幕府により船鑑札が与えられるなど焼津の漁業が重要とされていたことが、うかがいしれる。昭和6年以降には大型の鰹漁船の進水が相次ぎ、焼津の漁業の盛況さが増していく。昭和14年頃には大型漁船は85隻となり、焼津は全国一の東洋漁業の拠点地として世界的に名を知られることとなった。

 現在においても焼津は日本有数の冷凍の鮪、そして鰹の水揚港として成長しつづけている。


 以上のことから焼津と鰹の関係は後世に伝えるべき歴史があり、さまざまな時代と過程の中で焼津漁業が発展してきたことがわかった。


参考

文字数692


 

カッティングシートは 自身が所持している

シルエットカメオでカッティグしました。


カツオ板に貼り付けることを

念頭にいれていたのでかなり短めのレポートになりました。

‥というのは言い訳で短めのレポートだとしても

試験時と同じく800文字〜900文字書くべきでした。

精進します。


ただ確かに短めにしなくては本論のみでも記載することは不可能でした。

カツオ板に載せれたのは第一本論までです。

できれば本論をメインに載せたかったので序論も一部省きました。


フォントの大きさはカツオを下からご覧いただくことを考えると

少しでも読めるものにと思い、あの大きさに設定しました。

ちょうど学校の課題であった民俗学のレポートと並行して書いたので

カツオのどのあたりに着目するのか、いいヒントになりました。


レポートとしての在り方としては決して仕上がりがよいものではなく

高度なものとは 程遠い内容ではありますが

作品としての仕上がりは面白いものができたと自負しております。


尚、この焼津のカツオや漁業の論文は

著名な教授などが書いておられるので

私なんぞのレポートではまず無いとは思いますが

剽窃はご遠慮ください。


ぜひ、今年のカツオもご高覧いただけましたら幸甚です。


宜しくお願いいたします。
















 


 




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