美大をでていない私にとって
あの環境型セクハラ問題は
大変、勉強になる。
私にとって事自体が講座のような感じ。
こういってしまうのは失礼なことかもしれないけど。
何が勉強になるかって
まずは美術用語がバンバンでてくる。
気になる、調べる、ほーとなる。
どうしてもわからなかったところは
絵画の先生に教えてもらった。
(本当、すいません、、、)
あと美大生やOGの方々の観点が
私のような粗野で無知な人間とは違うので
やはり、ほーとなる。
氏の作品は
某ミシン刺繍の美術家の作品を見に行った際に
実際にみたりネットで見たことがあった。
そういうものなのだ、としか思わなかた。
ヘルンヴァインの作品が好き。
好きになったきっかけはマリリンマンソンでだったけれども
ヘルンヴァインの衝撃は不快に感じたりする人がいることも
理解できる。
だから不快に感じる人がいたとしても
「ヘルンヴァインの作品を芸術だと思えないなんて!」とは
思わない。
ですよね、でも私は好きなんです。で終わる。
ただ
私はそういう作品が好きなんだ、と
定位置におかれることには拒否感はある。
そういう作品”も”好きと置かれたい。
反対に好きじゃない絵画もある。
支持する人がたくさんいるけど
何がすごいのか何のメッセージ性があるのか
わからなくて。
だから、もし近場で展示されようとも観に行く事はしない。
味いちもんめ(漫画)で
伊橋が京都にいたとき
働いてる親方の娘さんが陶芸家の先生をつれてくるんだけど
京料理が嫌いでダラダラいう客に
好き嫌いがあっていい、だから発展してきた
といった話で諭す。
(結局その先生が有名な陶芸評論家と発覚し
文句をいっていた客はしょんぼり黙るのだけど)
前にも書いた気するけど。
この話においてこれは料理、陶芸にかかわらず
どの世界においても言えることであるわけで。
当の本人達にとっては
苦い水かもしれないけれども
下の方でうろちょろしている私にとっては
井戸から涌井いでる美味しい水だ。
とかいって誰よりもびくびくして
このHPでも「1:1-5は攻撃な〜」とか注意書きしちゃうし
昨年やった寓意的な人体の
処女膜も怒られるかも、、とか
ドキドキしてましたけれども。
出展という私は感想をモロにもらえるところに出向くので
(出向かなくてもモロにいってもらえる立場なので)
その中で「うげ〜」とか「うわぁ‥」という声も
多くいただいた。
時にお叱りを受けることも。
近いところで昨年の話。
現在、定番作品として販売しているホスピタルシリーズ。
決して、攻撃なものではないし
そんなに不快にさせるものではないと思ったのだけど
「何でこんなもの作るんだ」と一旦ブースを離れたのに
もう一度戻っていらしてお叱りいただいた。
説明をさせていただいたけどご理解いただくことは難しいので
しかしホスピタルシリーズ制作をやめようとは思わない。
クマさんなにたべたの?のあのブローチも
数回、不適切投稿との報告があったと
投稿ができなくなったり。
おもしろいじゃん。
いや、傷つかないといったら嘘だけど
もうこうなってくると
おもしろいんですよ。
よく耐えれるねって心配してくれる方もいる。
ありがたいです。
最初の頃はまさしく自分の中でも
耐えてる感があったんだけども
反応があったわけで
”無関心”でいられたわけではないので
(結局”無”にたどりつくこともあるけども)
日日是好日。
とはいえ、前回の記事に書いた通りで
”羽の擦れる音”がうるさく感じる時もある。
明日になったらおもしろいと思えなくなるかもしれない。
ジレンマで苦しむかもしれない。
でも、明日も私は
「なんかおもしろいことないかな〜」って思いながら
遊びを探す。
なんどもいうけども
私には鎧も武器もない。
突かれたらめっちゃ出血。
イタタタタタ、、ボロボロ、、
しかーし
確かに攻撃をうけたのに
まだ死んでないぞーと
ぬぼっと復活できちゃう。
日日是好日。
14年くらいまえの自分の髪の毛は
まだ黒くて
今見るとものすっごい違和感。